《10》 整音作業の実際
整音作業の具体的な事柄と重要なポイントを述べる。
これは私の方法なり考えなので「かくあるべき」と言う事ではない。あくまでも参考程度にして頂きたい。
針刺し工具についてグランドピアノ用として独ベヒシュタイン社純正品を二本、これは針の太さの違うもの
を常に用意している。アップライト用として国産品を一本。針と針の刺し方について0.60φと0.70φの二種類
使用している。0.70φの方は音像を作り出す時のみに使用。腹を刺してみて入らなかったら0.6φから始める。
針はピアノ材料店で販売しているドイツ製が固くて使い易い。ただし同じロットの針でも針先端の光沢の
違いによって容易に刺さるものとなかなか刺さらないものがあるので要注意。ハンマーヘッドの腹の真横か
ら肩の下まで一本針でゆっくりと奥まで ff で音像が閉じてくるまで、つまり音像の輪郭線がくっきり見え
てくるまで刺す。0.70φは腹以外には決して使用してはならない。0.60φでも音が閉じればこれを使用しても
良い。刺す方向は刺す位置の「ハンマーヘッドの接線に垂直」。
腹を刺す場合、肩方向に傾きを持たせるべきという人も居るが私は結果が良ければどちらでも良いとおも
っている。先端近くでは少々傾きをもたせ、奥までは刺さない。私は常に一本針で刺す。微妙な音色調整を
可能ならしめる事と、針を奥まで刺す必要があるからである。三本針でも力強く叩けば入るがそのときは既
にハンマーフェルト表層部の組織が崩れてしまっている。あくまでも針刺しの本来の意味《空気層を作る》
ということを常に念頭においている。
いかなる場合でもゆっくりと奥まで刺す事が肝心である。こうすることによりハンマーフェルトを傷めず、
空気層が長持ちし、長時間の演奏にもθ、ε、r、vが変化することはない。しかしf、s、Rに関しては常
に手入れをしていないとすぐに変化してしまう。
第一整音、即ち腹に針を刺し音像を作り出すまではフレンジを二個ずつ交互に完全に取り外して作業台に
手で固定してから行う。特にアップライトの場合には下面が出来ないため。もう一つの理由はフレンジを傷
めてしまうからである。この作業が終了したら万力でハンマーヘッドを二個ずつ丁寧に固定し、ハンマー整
形をする。
整形は♯60の後♯120で丁寧に。新品のハンマーヘッドの場合は♯60で軽く撫でた後♯120で丁寧に。その
後弦の精密なレベル調整と精密整調を行う。腹から肩にかけての針刺しはpp〜ffまで完全に音像が閉じるま
で、しかもθの値は pp〜ff で変化しないこと。腹の部分はff時におけるクッション、肩の部分は pp におけ
るクッションである。最後のs、f、Rの調整は三本弦総てが同じ値かどうか一本ずつ点検、調整する。
ここで整音後の音色とハンマーヘッドの形状について簡単に説明を加えておく。中古のハンマーヘッドの
場合には新品時の形状と相似形になるように削らなくてはならない。打弦点の付近だけを削った場合、ハン
マーヘッド上部の角度か甘くなり、出来上がった音像は私のイメージでは異常に上部のみが膨れ上がってし
まい「りんご」の様になってしまう。要素としてはrの値が異常に大きくなりdが低下する。いくら整音作
業に手間をかけても音が上に抜けて行かない。したがって三本筋の入ったハンマーヘッドの整形をする場合、
ハンマーの下に板を敷いてペーパーで打弦点付近を削る方法は厳に謹まなくてはならない。
サンドペーパーについて
ハンマー整形用として♯60および♯120を、音色要素f、s、Rは微妙なので先端は♯240を使用、先端まで
硬化材を使用した粗悪品は小さなフェルトの塊がf、sに対し悪さをするので塊を針で崩す必要がある。ま
たsの調整中にハンマー先端わきを刺しすぎて音像がぼやけてしまった場合、♯120で削ると元に戻る場合が
ある。
硬化材について
硬化材としての最も重要な条件は乾燥後ある程度の弾力性を持っている事である。硬化材ではないが一つ
の例としてゴムについて説明しよう。同じゴムでもタイヤに使用されるゴムと消しゴムや輪ゴムに使用され
るものはその硬度が全く違う。これはゴムの中に「可塑材」と言ってその素材の硬度を調節する物質があり、
その添加物の量で硬度が決定される。ピアノに使用する硬化材にも「可塑材」が存在するものが望ましく、
多種類の硬度をもった硬化材を作製し、使用目的によって使い分ける事が理想的である。
ニトロセルロース系のものでも窒素含有量が12%以上のもの(塗装用ラッカー)は薄めて使用しても乾く
と完全に硬化し、繊維の弾力性が失われてしまう。その結果音の品位、Rが低下してしまうので使用不可。
それにシンナー溶剤のものは臭気が強いので客先では使用出来ない。ニトロセルロース系のもので使用可能
なものは窒素含有量10%程度のコロジオンがよい。コロジオン(collodion) は英米で使用している名称でド
イツではコロジウム(Kollodium)と称する。しかしコロジウムには二つの難点がある。15分程でほぼ硬化す
るが完全に硬化するまで約6ケ月かかる。従って音作りを終えた後、音色の変化を注意深く見守る必要があ
る。ニトロセルロース系のものは総てこの傾向を示すので要注意。溶剤が蒸発した後ラッカー程ではないが
皮膜が硬化し、フィルム状になるのでたとえ薄めて使用してもs、fの調整が難しい事である。私は濃度の
違う溶液を二種類用意し、d の調整用として使用している。私はヘール社が以前販売していたものを使用し
ている。これが使い勝手が最もよい。薬局で手軽にしかも安価に入手出来る燃料用アルコール、俗名ネンコ
ールで希釈し、濃度を四段階に分けて使用している。刺激臭がないので使い易い。また音色調整が自由にコ
ントロールでき、後々の音色の変化もなく、実に良い。現在、入手不可能の為、赤外線分光分析器と従来の
手法による定量分析を行っている最中である。分析結果が出次第、組成が判明するはずである。
現在酢酸ビニール樹脂系の物で実験中であるが今のところ結果は上々である。この物質は乾燥後も弾力性
を持っており f,s 調整用としても使用可能である。四本各々の濃度を何%溶液にしたらよいか只今模索
中である。まだ音色の経時変化を追跡調査していないので皆様にお勧め出来る段階ではない。
ポリウレタン系のものは現在ドイツで使用されており、結果は上々、とのことである。これは乾燥後、溶
剤に溶けにくい性質を持っているので少しの失敗も許されない。修整が難しいので私は使用していない。ち
なみにドイツの ○社 では発砲スチロールをアセトンに溶かし、使用している。アセトンは極めて蒸発率が
良く、結果が数分で判明するので溶剤としての使い勝手は非常に良い。
ここで硬化材としての必要条件をあげておく。以下の条件が満足されていれば如何なる物質でもよい。
@ 取り扱いが安全かつ容易なこと。
A 溶剤が速乾性であること。
B 溶剤が臭気を発散しないこと。
C 乾燥後 透明、または白色不透明であること。
D 変色しないこと。
E ある程度の弾力性があること。(できれば可塑材が存在すること)
F 乾燥後、硬度の変化がないこと。乾燥の時間を見極める事
G フェルト(動物性繊維)と化学反応を起こさないこと。
H フェルトとの密着性が良いこと。
I 化学的、生物的変化がないこと。
J 溶剤が必ず存在し濃度調節が可能なもの。
K 常温で物理的変化をしないこと。
使用方法としてはハンマー先端用の極く極く薄いものから濃度の濃いものまで多種類を用い、音を聞きな
がら臨機応変にハンマーヘッドのあらゆる場所に使用する。ハンマーヘッドの内側だけを固くしたい場合に
は切断面からも注入する。注入する場合は注入した量がはっきりと解るスポイトが良い。
ハンマーアイロンについて
アイロンは原則として先端に当ててはならない。あくまでも音が仕上がった後のハンマーフェルトの毛ば
立ちを寝せる為のお化粧であり、音色を変化させる為の道具ではない。スライダック(電圧調整器)を用い、
フェルトが焦げない程度に暖めておくと使い勝手が良い。