オーディオマニアの為のピアノ楽入門 その26 (最終回)
ここでの説明は「整音の理論と実際」から引用し、なおかつ皆様にわかり易く解説致しました。
前回は「整音の概念」「整音とは何か」と言う事についてご説明いたしましたが今回は整音作業を施
す事によってピアノの音色がどのような変化をするのかを箇条書きにしてご説明致します。これらの
項目は我々調律師が音色と言うものをどの様に捕らえ、どのような音色要素を変化させる事が出来る
のか、と言う事を説明します。
ピアノの整音と言いますと一般的にはハンマーヘッドの硬度分布の調整により、音色を改善する事を
指しますがここで言う整音はハンマーヘッドだけに限らずボディーも含め、総ての部分を手入れする
事によって音色を改善する作業工程とします。
今後ピアノの購入をお考えの際には是非これらの項目につき検討して頂いたあとで決めてください。
1 音の母音
ピアノの響きには母音があり、「オー」と言う響きが最も美しく聞こえます。「オー」で響く音は音
が上に抜けていく感じがします。この響きを私は「閉じた音」と呼んでおり、音像としては紡錘形を
しております。和音を弾いたときには綺麗に束になって上に伸びていきます。「アー」「エー」で響
くものは一音一音がある角度を持って広がってしまい、極めて下品な響きになってしまいます。和音
を弾いたときにはそれぞれの音が勝手な方向にに音が飛んでいくようで調和がありません。この母音
の調整は最高音部に行くに従って開く様に音を作ります。最高音部の1オクターブを開かせ、また輝か
しい高次倍音を作る事によって音楽が生き生きとしてきます。例えばドビュッシーの前奏曲集の花火、
リストの華やかなラ・カンパネラなどです。この最高音部の開いた音作りは曲に華やかさと絵画的な
印象を与えます。この調整はハンマーヘッドの硬度分布の調整で行います。「閉じた音」「開いた音」
の響きは腹の部分の硬度分布に依存します。
余談になりますが、完璧な整音が施されたピアノで素晴らしい録音がなされたCDを聴きますと大変面
白い事が判ります。これらのCD盤を生演奏に近い響きで再生できるオーディオシステムで聴きますと
一音一音の音像が完全に閉じているのに対し、廉価なオーディオシステム、又はいい加減なセッティ
ングがなされた再生装置で聴くと音像はかなり開いて聞こえてきます。私はその再生装置が優秀であ
るかないかの判断を試聴用サンプルCDのピアノの音像の開き具合で判断しています。またピアノ録音
の際に安物のマイクで収録するとどんな高級装置で再生しても音像は開いてしまいます。ここにピア
ノ録音の難しさがあり、ここに挙げた以下の音色要素全てを忠実に捕らえることが出来る優秀なマイ
クは世界でも数えるほどしかありません。私見ですが、ピアノ録音における最高峰のマイクといえば
やはりDPA社(B&K社)のコンデンサーマイクに落ち着いてしまいます。DPA社のマイクの素晴らしさは
そのピアノが持っている香りの種類、つまり以下で説明する「F」の種類が全く変化せず、しかもし
っかりと生のピアノの香りを捕らえる能力を持っていることです。一本30万円から50万円ほどでかな
り高価な代物ですが、それだけの価値は十分備えていると思います。しかし「マイクも楽器の一部」
と考えれば、考えようによってはずいぶん安いと思います。
2 音の伸び
音の伸びは大切な事で、特に緊張感を伴った音を持続させるときに音楽表現上、極めて重要な要素と
なります。特にリストの「波を渡る聖パウロ」とか「巡礼の年」をはじめとする彼の後期の作品の多
くについては音楽表現上絶対に欠かせない要素となります。この「音の伸び」はハンマーヘッドの硬
度分布ではなく、ボディーの設計の要因、例えば弦が駒を押さえる圧力、つまり理想的な弦圧と低音
部から高音部までの弦圧曲線のリニアリティーによって決まります。もう一つは製造技術の問題とし
て、木工関係の接着が完全であるかないかと言う事でも変化します。いい加減な接着が成されたピア
ノはまず美しい響きを持った余韻はありません。高次の倍音が隙間があることによってピアノ全体に
伝わりません。実際には弦振動しているのですが音に変換する変換効率が良くありません。これらは
調律師の仕事として工房で直す事が出来ます。
3 音量の推移
完全に整音されたピアノの音はただ単に音が減衰するのではなく、打弦弦約0.7秒後に最も大きな音量
が出てきます。その後徐々に減衰して行き、伸びのあるピアノでは約1分近く音が消えません。この
0.7 秒後と言うのが音楽表現上極めて大切な事で、特にメロディーラインのはっきりしたレントの曲
では一つ一つの音がまるで感情を持っているが如く胸に迫ってきます。レコードでショパンのノクタ
ーンなど、耳を澄ましてじっくりメロディーの減衰のし方を一つ一つ聴いてみて下さい。自宅にある
ピアノと比較してみてください。直線的に減衰してしまうものはまず整音が施されていないものと判
断しても良いでしょう。この音量の推移のし方はハンマーヘッドの硬度分布に依存します。腹の部分
が硬いものは音が0.7秒後に決して大きくなりません。その外にもアリコート部分がぴたりと四度、
五度、などで合っているとこの傾向は顕著に出てきます。これらが素晴らしく音の響きとして聴くこ
とができるピアノはイタリアのファツォーリ、アリコート弦を持ったブリュートナーでしょう。
4 音の旨みとコク
「旨みとコク」と言っても実際の音を聴いてみないとなかなか理解出来るものではありませんが、こ
の要素が音に顕著に出ている場合、ピアノを弾いている本人は離れがたい魅力を感じます。食べ物で
言ったらグルタミン酸、アミノ酸の含有量の多い食品といったところでしょうか。クラウディオ・ア
ラウの弾く後期ベートーヴェンの作品を弾いている一連のPhillipsのCDはこの「旨みとコク」を顕著
に感じ取ることができます。このピアノはニューヨークスタィンウェーですがこのピアノはもともと
「旨みとコク」が多く内在しているピアノと思われます。私自身が整音していてもそれを感じます。
この「旨みとコク」を作り出すには高度な整音技術が必要となりますがハンマーヘッドの硬度分布調
整によって作り出す事が出来ます。内在している旨み成分の含有量は私の推測に過ぎませんがどうも
響板の材質に負う所が大きいのではないかと思われます。同じ整音作業をしても殆ど旨みの出ないピ
アノがあるからです。
5 ピアニシモからフォルテまでの幅、つまりダイナミックレンジ
ダイナミックレンジの小さなピアノよりも大きなものの方がより曲が大きく感じます。この要素は響
版の大きさと弦の長さでほぼ決定しますが、すでにあるピアノの大きさが決まっている場合、この要
素に依存する要因は沢山あります。以下に代表的な要因を挙げてみましょう。
@ ネジ類の緩み具合
A 木部の接着具合
B 整調におけるハンマーヘッドの弦への接近距離
C ハンマーヘッドの大きさ
D ハンマーヘッドの硬度分布
E 高音部における打弦ポイント
などです。
6 音の密度の濃さ
音の馬力とでも表現した方が良いかもしれません。整調、整音がきちんとされているピアノは音に厚
みがあります。この音色要素を変化させる要因も色々ありますが
@ ハンマーヘッドの先端から奥にかけての硬度分布の違い
A タッチ調整によるもの
B 設計からくるもの。スタインウェーのような鉄骨を響かせる設計のものは慨して馬力のある響きが
得られます。
7 香りの種類
これは以前にも説明致しましたが如何なる整音、整調をしても基本倍音構成を変えない限り変化させ
る事は出来ません。この香りの種類と言うのがそのメーカーの本質的な音色と言っても良いでしょう。
響板の種類や音響特性によっても大きく変化しますがこれは響板を通じて基本構成周波数にフィルタ
ーをかけている、と解釈しても良いと思います。
8 香りの濃さと品位
香りの品位と言うとまずは簡単に説明しますと本物の花びらから取った香水の香りとベンゼン核を有
する合成品との違いです。安物のハンマーヘッドは切れやすい短めの羊毛から作った密度の薄いハン
マーヘッドです。密度が薄いためにどうしても硬化材で固めなくてはなりません。このようなハンマ
ーヘッドを使用しますと音像は作れるものの音の品位はあまり良い物ではありません。これに対し毛
足が長く切れにくい羊毛を密度濃く高張力で固められたハンマーヘッドは弾力性に富み、音像は勿論、
極めて品の良い音色が得られます。この素晴らしいハンマーヘッドを製造している会社としてレンナ
ー社、アベル社、スタィンウェー社などを挙げる事が出来ます。
9 音の透明度
音の透明度が上がってくると音そのものに生命感がみなぎってきます。薄皮が剥がれたような瑞々し
さを感じます。音の透明度はハンマーヘッドではなくボディーの木工の出来具合、ゴミ、隙間に詰ま
った塵などが影響します。ちいさなゴミ、綿ぼこリなどを除去するだけでも透明度は変化します。
10 音の円やかさ
これも実際の音を聴かないと理解出来ませんが音像で言ったら紡錘形の横の部分の膨らみ具合です。
音の円やかなピアノは木製の響きがしており、甘味を感じます。何時間弾いていても耳が疲れません。
この要素もハンマーヘッドの硬度分布で調整することが可能ですが、そのピアノが持っている基本的
な円やかな響きと言う物があります。それは設計と製造年代に負うところが大です。
11 音の飛び具合
この要素は設計によるところが大きいのですが、最も音が遠くまで届く代表的なピアノとしてはスタ
ィンウェーピアノです。このピアノはサウンドベルと言う「鉄骨の振動を直接ケースに響かせる」為
の素晴らしいメカニックをもっております。ハンマーヘッドの硬度分布調整で弦振動を効率良く響板
に振動させる事も可能です。変換効率が良いととても鳴りの良いピアノに変身します。この調整も整
音作業では大切な作業の一つです。
12 低音部から高音部に至るまでの音量バランス
我々調律師は整音作業によってそのピアノの内在している能力を最大限まで引き出してやる訳ですが、
音量についても色々なノウハウを駆使してそれぞれのキーの音量を変化させる事も可能です。しかし
ながら小さなピアノは弦も短いし、響板の面積も小さいので幾ら整音作業を施してもそれなりの音量
しか出て来ません。やはりそれなりのダイナミックレンジを持ったピアノとなれば大きなピアノの方
が絶対に有利です。
A&V village も来年の1月号から内容の刷新と言う事で今回でこの講座を終了させて頂きます。四年半
にわたって御愛読頂き、どうも有難う御座いました。引き続きご興味のある方は私のホームページを
時々訪れてください。新しい面白い内容を追加していくつもりです。