オーディオマニアの為のピアノ楽入門 その21
前回はアクションの土台とも言うべき鍵盤枠に関する色々な工夫を紹介いたしました。今回はその鍵盤枠に
取り付けるブラケット、更にブラケットに取り付けられる各種レール類についてご紹介いたしましょう。
ブラケットについて
写真(1)(2)にもっとも一般的な現代のブラケットの形状を示しました。材質は鋳物で出来ており、金粉塗装
を施してあります。この「ブラケット」と言う部品はアップライトピアノ、グランドピアノ、共に家の大黒
柱のような役割を果たしております。このブラケットに各種レール類が取り付けられ、更にそのレール類に
色々な機能を果たす為の部品が取り付けられます。そしてその部品同士の連携プレーによって「打弦」とい
う働きがもたらされます。アップライトピアノ、グランドピアノ、ともに高級機種になるとブラケットの数
も多くなり、低音部、中低音部、次高音部、高音部と各セクションごとに装着されております。ちなみに現
代のグランドピアノでは両サイドを含め、五個のブラケットが装着されております。セクションごとに入れ
る事によって各種レール類の打鍵したときの「たわみ」を防ぎます。アップライトピアノの場合には小型の
ものでは両サイドしか装着されていないものもありますが、高級機種になりますと稀にではありますがグラ
ンドピアノ同様、五個も装着されているものがあります。
写真1
写真2
アップライトピアノの場合には大体が低音部と中低音部に1個、計3個、丁寧に作ってあるもので中音部、次
高音部にもう一つ、計4個、というのが標準的です。1920年代から1930年代に発達いたしました大型アップ
ライト、別名アップライトグランドと言われるものは四個から五個装着されているものが多く見受けられま
す。中でもスタィンウェー、ボールドウィン、メーソンハムリン、クナーべなどのアメリカの名器はその外
見、内容共に「絶対に壊れない」といった意図の元に製造されているかのごとくで、そのアクション、枢体
は別名「軍用ピアノ」と言っても良いかと思われるほどです。
このブラケットも初期のピアノはアップライトピアノ、グランドピアノともに硬木で出来ております。
写真(3)(4)
写真3
写真4
この木製ブラケットの場合、グランドピアノにおいては鍵盤枠に直接組木のように差し込んで膠で固定して
あるもの、木ネジで取り付けてあり、取り外し可能なものと二種類あります。アップライトピアノにおいて
はアクション部分だけ取り外しが可能な構造になっておりますのでブラケット部分は凹状に加工してあり、
鍵盤棚に膠で固定されております。木部は凸状に加工してあり、アクションを装着するとピタリと収まるよ
うになっております。写真(5)
写真5
現代のブラケットの装着部分の改良点として、鍵盤棚部分の木製部品の上に頭が半球状の木ネジが付いてお
りますのでネジ一つで打弦ポイントの微調整が可能になった、と言うことでしょう。木製から鋳物製に移行
する段階の木製ブラケットの中にはネジつきで打弦ポイント調整可能な物もあります。
アクションの発達段階における特殊な設計のアップライトピアノでは鍵盤枠に直接ブラケットが膠付けされ
ているものもありますが、これらのピアノの大体は大型のもので、弱音ペダルを踏むと「鍵盤ごと左右にシ
フトもの」若しくはハンマーを取り付けてある「レールのみが左右にシフトするもの」とに大きく分けて二
つのタイプに分類することが出来ます。このアクション形式は大変優れたものでしたが製造がきわめて面倒
なことと、アップライトピアノで此処まで凝ったアクションを装着しなくてはならない是非の論争の結果、
廃れてしまったのではないかと思われます。現在では殆ど見られなくなりました。
「たわみ」の問題
先ほどレールの「たわみ」という言葉が出てきましたが、この「たわみ」によってタッチと音色にどのよう
な影響が出てくるのでしょうか。前回、グランドピアノの鍵盤枠の鍵盤棚への密着度の重要性を長々とご説
明致しましたが、これと同じ位、打弦したときのレールの「たわみ」の問題は重要な課題なのです。打弦し
た時にレール類が撓んでしまいますと音色がボケて立ち上がりに力が無くなり、またタッチも心もとないも
のになってしまいます。一方、ブラケットの数を多くしたからこの問題を完全に解決できるのかと言います
とそうでもありません。使用するレールの材質にもよります。
レール類の色々
現代の一般的なグランドピアノのレールは「堅木」で出来ておりますが、日本国内では「アルミ製」と言う
のが主流になってきております。写真(6)
写真6
造りの丁寧なアップライトピアノになりますと木製仕様の場合、メインレールの「たわみ止め」と「捩れ止
め」の為の鋳物で出来た「L字金具」が下方部分に取り付けてありますが、最近では全世界的に超高級品を除
き「アルミ仕様」が主流になって来ております。それではアップライトピアノ、グランドピアノともども何
故アルミ仕様になってきたのでしょうか。
簡単なアクション発達史
その理由をご説明する前にピアノの部品の材質の変化をも含めたアクションの発達史について簡単にご説明
いたします。アクションの形状の時代的変化、使用材料の時代的変化には幾つかの理由があります。
@ より素晴らしいタッチを求める為
A より機敏な反応を求める為
B より速い連続打弦を可能ならしめる為
C より美しい音色を追い求めるが為
D よりメインテナンスを楽にする為
E より生産効率を上げる為
F より生産コストを安くする為
我々調律師にとっては5番目の「メインテナンス」が最も重要な課題であります。本当に洗練された現代の
素晴らしいグランドピアノアクションはタッチ調整をする人の立場にたった心憎いほどの配慮が成されてお
り、短時間でピアニストの要望にも答えられるようになっております。それに対し、私が所有しております
1864年製のイギリス、ジョンブロードウッド社製コンサート用グランドピアノは何とかコンサートにのぞむ
事が出来るようになるまで調整だけでもゆうに三日、四日は掛かってしまいます。調整がひどい時には二週間
近くかかる事もあります。そのために時々このピアノを使用する場合には四六時中タッチの変化を監視し、
その都度調整をしていなくてはならない大変厄介な「調律師泣かせ」のアクションです。こんな厄介な代物
でも当時はベートーヴェンが使用していたり、ショパンがコンサートで使用した程の世界的な名器なのです。
いつごろから調律師という職業があったかどうかは定かではありませんが、もしあったとすれば当時の調律
師は余程根気強い人たちがなったに違いありません。ピアニストに「ここをもっとこうしてくれ」との一言
でその要望に答えるためには数日かかってしまう場合があるのですから、、、。
以前このピアノを使用してコンサートをしたい、と言うピアニストがおられました。日本人の女流ピアニスト
です。彼女の強い要望でこのコンサートを執り行いましたが、結果は大成功で新聞にも大々的に取り上げら
れた事があります。しかし私の立場になってみてください。このコンサートの為に約一ヶ月近くの修理、調
整に昼夜時間を取られてしまい、仕事も出来ず、完全な大赤字になってしまいました。しかし長い人生、こ
のような事があっても良いと思います。今となってはあのコンサートは良い経験で古典ピアノの原始的アク
ションの調整技術の勉強にもなりました。「このような、珍しいアクションをいじる事」は私自身、仕事に
関係なく興味がありますので今だに続いております。周囲からは「田中さん、よくそんな金にならない仕事
を引き受けられるね」と云われます。そんなこんなの苦労のおかげでイョルク・デームス氏のこのピアノを
使用したコンサートには何の怖さもありませんし、氏も私を信頼して下さっております。
話がレールのことから逸れてしまいましたので元に戻しましょう。先ほど何故「木製仕様」から「アルミ仕
様」に変化してきたのかと言う事に触れましたのでここで「木製仕様」と「アルミ仕様」のそれぞれの特徴
について考察してみましょう。
「木製仕様」の場合の特徴として
@ タッチがしっとりとしている
A ネジ類が容易に入り、少々のネジの傾きがあってもすんなり入ってしまい、部品の取り付け、取り外しが
容易である。
B 欠点として、あまりよい環境とよいメインテナンスが施されなかった場合、とくに古い年代物になると木
目に沿ってひび割れをおこす。ひどい場合には「ネジ締め」が出来なくなってしまい、ハンマーヘッドの
間隔がバラバラになり、結果、打弦ポイントが左右にすぐずれてしまう。
また古いピアノでは捩れ現象を起こしているものもよく見かけます。しかし「木製仕様」の利点として、
アクションメーカーで同じ物を同じ材質で作ってもらう事が可能である。これは100年以上経った古いピ
アノを修復する上で極めて大切なことである。
C 余計な倍音が出てこないので金属的な響きが少ない。(私の主観です)
D 楽器と言う観点からすれぱ従来の木製の方が「自然の素材」と言う事で望ましい、と言うよりも精神衛生
上好ましい。(これは私の勝手な感覚上の判断です)
「アルミ仕様」の場合の特徴として
「木製仕様」の反対と考えてください。製造会社としてはレール類がアルミで出来るようになったおかげで
「安い製造コスト」と寸法精度の向上による「組立作業の自動化」が容易に出来るようになった事です。結
果、我々は「安い価格でピアノが手に入る」と言う事になりました。これは我々庶民にとってはとてもあり
難い事だと思います。
ただアルミ仕様のものは問題も多く、我々調律師としては部品の取り付けネジが従来の木ネジではなくピッ
チの細かいビスになったことです。この変更により部品の取り付けに際しては注意を払わなくてはなりませ
ん。角度がズレたりしているとたちどころにネジが締まらなくなってしまいます。これを無理やり締め付け
ていきますと、また違った角度のネジを切ってしまいます。最悪の場合にはネジが馬鹿になってしてまいま
す。写真(7)
写真7
こうなってしまうと大事です。その点「木製仕様」の場合には穴を開け直し、埋め木をすればたちどころに
直ってしまいます。我々調律師の工房で手軽に修復が出来る、と言うのは嬉しい限りです。
ここでまたまた世界的名器スタィンウェーピアノの登場です。と言いたいところですが紙面がありませんの
でこれについては次回にしましょう。次回はこれらの「木製仕様」と「アルミ仕様」の長所だけをとり、ま
たその独特の吟味された形状の「ブラケット、レール一体式真鍮製スタィンウェーアクションの秘密」につ
いてご紹介申し上げます。