オーディオマニアの為のピアノ楽入門 その20
グランドピアノの鍵盤枠について
今回はタッチと音色に依存する最も大切なアクションの部品を取りつけるための土台についてご説明致しま
す。土台と言いましたが正確には「鍵盤枠」と言います。
アップライトピアノの場合には基本的には鍵盤枠とアクションは分離しておりますがグランドピアノの場合
には一体になっております。グランドピアノのアクションは鍵盤枠の上に鋳物で出来たブラケットと言う金
具がネジ止めされており、その金具にハンマーシャンクを取りつける為の「メインレール」とハンマーを突
き上げる為のウィッペン、別名サポート、と言う部品を取りつける為のレールが取りつけられます。左のペ
ダルを踏みますとアクション全体が右に数ミリずれるようになっており、ハンマーヘッドが弦に触れる位置
が変化します。
「グランドピアノのアクションが右に数ミリずれるように設計されております」と簡単にご説明致しました
が、この鍵盤枠とそれが乗っている鍵盤棚の密着度が実はタッチと音色に大変重要な影響を及ぼします。
木材と言うのはたとえどんなに精密に加工したとしても必ず後に「反り」が出て来たり、湿度の影響で寸法
が狂います。夏場の湿度の高い状態と冬場の低い状態ではまるでピアノの状態が変化してしまいます。生き
物のように刻々と変化しつづけます。これらの湿度による木材の反りに対しても鍵盤枠と鍵盤棚の密着度が
常に良好な状態になっていなければ良いタッチと良い音色は得られません。隙間が空いてしまっているよう
なピアノはおおむね1800年代のアクションの発達段階途中のグランドピアノによく見られます。
鍵盤枠と鍵盤棚の密着度が常に良好な状態にするための素晴らしいメカニズムがアクションの発達過程で考
案されましたのでご紹介いたします。現代のグランドピアノは総てこのメカニズムが採用されておりますが、
スタィンウェーピアノは更に進んだメカニズムを採用しておりますので後ほどご紹介致します。
そのまえに、もし鍵盤枠と鍵盤棚に隙間が空いてしまっている場合にはどのような症状が出てくるのでしょ
うか。
1 鍵盤の手前側の鍵盤枠がほんの少し浮いている場合。つまり鍵盤のフロントピン側の鍵盤枠がほんのすこ
し鍵盤棚と隙間がある場合。(図1)
図1
ある和音を弾いて音を持続させながら、例えばドミソと言う和音を左手で弾いて音を持続させておきます。
引き続き音階なりメロディーを弾きますと左手にゴツゴツという感触が伝わって参ります。これはメロディ
ーを弾くたびに鍵盤枠が鍵盤棚に接触するときの感触でとても嫌な感触です。このように少しでも隙間が空
いていると最低音部から最高音部まで嫌なゴツゴツ感が伴ってきます。
もう一つ、ピアニシモで弾いたときの深さとフォルテで弾いたときの深さが違ってしまう事です。勿論フロ
ントピンにはフロントパンチングクロスといって暑さ五ミリほどのクロスが入っており、このクロスの弾力
性の為にピアニシモとフォルテでは鍵盤の深さは変わってきますが、隙間が空いている場合にはとても抜け
の悪いタッチとなってしまいます。例えば高音部に隙間があった場合には高音部になるに従って音色までが
空ろになってしまい、物足りなくなってしまいます。その結果、曲全体のまとまりがとても悪くなります。
このような症状が出ているピアノはカンナと木工用ボンドを用い、極く薄い木の皮で完全に密着させるべく、
精密な木工作業をしなくてはなりません。ここで用いる極く薄い木の皮は色々な厚さの松材のカンナ屑を作
り、これを使用いたします。ごく稀にですが出来の悪いグランドピアノでは新品の時からこのような症状が
出ているものがあります。これも値段の安い三流メーカーと言われるものに見られます。日本のピアノは世
界一木工の精度が高いと言っても過言ではありません。したがって現代の国産グランドピアノではまずこの
ような症状は皆無と言ってもよいでしょう。
2 鍵盤の中央部分、即ちバランスピン取りつけの部分が浮いてしまっている場合。
現代のグランドピアノの鍵盤枠はとても素晴らしいメカニックを持っておりまして、この部分の調整はベデ
ィングスクリューという部品を回転させる事により、鍵盤枠と鍵盤棚を完全に密着させる事ができるように
なっておりますが、1800年代のピアノは調整ネジがありません。(図2)
図2
この部分が浮いてしまっている場合にはタッチ、音色にたいして最悪の結果を招きます。従って我々がピア
ノの調整をする場合、まず第一にこの部分が完全に調整できているかどうかと言う事が基本になります。こ
の部分の密着度が悪い場合には如何なる精密なタッチ調整をしても素晴らしいタッチと美しい音色を得るこ
とが出来ません。
この部分が浮いていると言う事は、鍵盤の支点部分が浮いている、と言う事になります。支点部分が浮いて
いると支点の先にあるウィッペンヒールを思うように突き上げる事が出来ません。したがってフォルテに全
く力が無くなってしまいダイナミックレンジが大幅に下がってしまいます。フォルテで力いっぱい鍵盤を叩
いてもタッチそのものも物足りず、音色としてはフォルテにおける高次の倍音が出てこないのでそれこそフ
抜けたつまらない音色になってしまいます。
このベッティングスクリューによって調整する事が出来る現代の鍵盤枠のメカニックはどのようになってい
るのでしょうか。ここにアクションを裏から見たベティングスクリューの取りつけ位置(写真1)、それと上か
ら見た様子を示します(写真2)。
写真1 写真2
アクションを真横から見た概念図を (図3) に示しましたのでじっくりご覧下さい。
図3
まずバランスピン部分、言いかえれば中央部分を最初から鍵盤枠と鍵盤棚の隙間が空くように「反り」を入
れておきます。アクション部分が乗ってもこの「反り」はまだあり、隙間が空くようになっております。ベ
ティングスクリューは総ての部品を取りつけた後、即ちこれ以上重さが加わらなくなったところでおもむろ
にスクリューを少しづ廻しながら鍵盤棚に密着させます。ベティングスクリューは多いものでバランスピン
の両端と各セクションの分かれ目、および低音部の中間部、中低音部の中間部、全部で6本入っております。
この調整に馴れるまでに結構な訓練を要します。どれか一本でも高くなり過ぎると隣のスクリューが浮いて
しまいます。我々ピアノの調整をする場合、まずこのべッティングスクリュー調整に最も神経を使います。
この部分はタッチ調整の基本の基本、と言っても過言ではありません。これは例えですが、家を建てる場合
に最も大切な基礎部分のアンカーボルトがしっかりと止まっているかどうか、と言うのに似ています。
3 最も奥の、つまり鍵盤の尻尾の部分の鍵盤枠が鍵盤棚と隙間がある場合。
現代のアクションの殆どは隙間が空かないような工夫がなされております。(写真3)のような部品が棚の奥
に取りつけてあり、アクション先端部を挟みこむようになっております。(写真4)は拡大したものです。こ
の部品はアクションの前後の位置を固定する役目も担っております。ここに見えるネジは最高音部における
打弦ポイント調整のためのものです。
写真3 写真4
この部分が浮いていた場合、ハンマーヘッドが打弦後、上から勢いよく落ちて来たときに枠が振動しますの
でその付近のハンマーヘッドが一斉に上下に動き始めてしまいます。この場合にはアクションノイズが発生
する場合があり、音色もやはり無機質な空ろな物になってしまいます。中央部ほどではありませんがやはり
ダイナミックレンジが減少してしまいます。この場合の修理も調整ネジが無いので木工作業で修理致します。
スタィンウェーピアノの素晴らしい工夫について
現代のグランドピアノはもうこれ以上発達のしようが無いほど練りに練られたメカニズムを持っております
が、スタィンウェーピアノは更に一歩進んだ考え方による鍵盤枠と鍵盤棚の密着方法を採用致しております。
枠の中央と後部は他社の物と変わりはありませんがフロント部分が他社とは設計その物が違います。枠のフ
ロント部分の裏側を半円形にえぐってあり(図4)、鍵盤棚に接触する部分はわずか一センチ以下になっており
ます。これはフロント部分の木部の巾の前部のみが接触することにより最小限に浮きを押さえております。
図4
そしてもう一つの工夫、なんと鍵盤棚そのものにわざと反りを入れているのです。真中、即ち前後の中央で
はなく左右の中央部分をが最も高くなるようにほんの少し「反り」が入っているのです(図5)。
図5
ですからスタィンウェーピアノの場合アクションをピアノ本体に挿入した場合、両側のフロント部分は一ミ
リほど浮いております。これは鍵盤枠が反ってしまったのではなく、わざと鍵盤棚を反らせて作っている結
果なのです。両側の袖木を取りつける事によって完全に密着させよう、と言う考えなのです。またその外に
スタィンウェーピアノの鍵盤棚は湿度で反りの影響を最小限に防ぐ為に鍵盤棚自身を4分割し、それを平面
になるようにくみたてており、接合をせず、わざわざスリットを入れております。素晴らしいアイデアだと
思いませんか、如何にもドイツ人が考えそうな素晴らしい工夫ですね。このように「世界的な名器」と言う
のはスタィンウェーに限らず、「目に見えないところで徹底した工夫がなされている」というわけです。