オーディオマニアの為のピアノ楽入門 その11
前回は響板について簡単にご説明致しましたが今回は紙面の都合上書ききれなかった部分を補足します。
それと響板に付随すると言うか、響板に装着されている「駒」についてお話しいたします。
響板について(その二)
響板に用いる木材と木材の性質について前回お話し致しましたので、今回はその木材の素晴らしい性質を
音響学的に最大限に引き出す為に、どのような用い方がされているのかをご説明しましょう。
木目の向きについて
振動は木目方向の方がその垂直方向よりも遥かに速く伝わります。したがって木目の向きは駒に沿って平
行になるようにします。これは駒で受けた弦振動を少しでも早く響板に伝えるためであります。そして響板
の裏側に15センチ間隔位で響板の木目に垂直に張り巡らされた「響棒」が響板全体に振動を伝えます。「響
棒」はピアノにとって他にも大切な役割をしておりますがその説明は次回にしましょう。1800年代のピアノ
を見てみますと響板の木目の方向は必ずしも駒に平行とは限りません。それこそ色々な向きのものがありま
す。そして又響棒を接着する角度も必ずしも木目に垂直とは限りません。いつの頃からか全世界のピアノメ
ーカーが「響板の木目の向きは駒に沿って平行」「響棒は響板の木目に垂直」という製造方法を採用する事
になりました。私の考えでありますが、これは音響学に関する測定機器の発達が影響しているのではないか
と思います。ピアノの発達は科学技術、工業技術の発達と切り離すことが出来ませんから。
木目の粗密について
同面積、同体積で密度の高い年輪をもった木材と密度の低い年輪を持った木材の音響特性を調べてみると
密度の低い木材の固有振動数は小さく、つまり低い音が鳴り、密度の高い年輪を持った木材の固有振動数は
大きく、つまり高い音が鳴ります。勿論同じ材質での比較実験の結果です。響板は幾つもの木片を剥ぎ合わ
せてありますので、高音部に行くに従って年輪密度の濃いものを、低音部に行くに従って年輪密度の低いも
のを使用いたします。また固有振動数は質量が大きくなればより小さく、つまり低い音が出ます。この性質
を利用して響板の「厚さ」と言うのは低音部に行くに従って厚みが増し、高音部に行くに従って薄くなるよ
うに設計されております。しかしこれも限度という物があり、例えば低音部をどんどん厚くして行くとトー
タルとして木材の硬度と硬直性が増してきますので固有振動数は高くなってしまいます。相反する性質が低
音部、高音部に存在しますので丁度よい厚さを探る、というのは至難の業、と言うよりも「長年の経験によ
るデータの積み重ね」が必要になってまいります。ですから世界の名器と云われるメーカーはあらゆる「構
造力学的」「音色に作用する各部分の設計、及び使用材料」「タッチに及ぼすアクションの設計、及び使用
部品の材質」に関する膨大な経験的実験データを所有しており、これらのデータが現代のピアノ作りに100パ
ーセント生かされており、その結果として「ピアノメーカーの強烈な個性」として音色、タッチに現れてく
る訳です。
グロトリアンピアノの響板に隠された驚くべき工夫
ドイツの三大名器の一つ、グロトリアンピアノについてはその素晴らしさを何度も紹介して参りましたが、
またまた、どうしても紹介しておかなくてはならないグロトリアン独自の響板に隠された秘密をここでご紹
介しておかなくてはなりません。世界の名器を紹介するにあたってグロトリアンピアノはそれほど数多くの
工夫が至る所に成されている、ということであります。1960年代以前のグロトリアンピアノの響板は一本の
松材の同じ年輪層の部分だけを使用していたそうです。これは最低音部から最高音部まで総てのキーに対し
「同一の音色」「同一の響き」「同一の香り」を持たせる為だと言うことを聞きました。兎に角厳選に厳選
を重ね、これならば大丈夫という材料を使用していたそうです。全く贅沢な作りをしていたものですね。言
い換えればそれだけ良い材料がふんだんにあった、と言う事なのですね。数年前グロトリアンピアノに研修
に行った際に聞いた話ですが、現代科学が進み、音響関係の測定器が発達してきたので現在は音響関係の色
々なデータを測定し、値の同じもの同士の松材を剥ぎ合わせて一枚の響板を作るそうです。それにしてもこ
の「こだわり」はすごいですね。私の私見ですがグロトリアンピアノこそ設計、製造、音色、総てに亘って
ドイツ魂が結集されたピアノではないかと思っています。ところで先日発売になりましたグロトリアンピア
ノを用い、デムス氏が演奏されました「月影に捧ぐ」と言うタイトルのCD盤をお聴きになられましたか。私
はあのグロトリアンピアノのタッチ調整と整音に延べ日数一ヶ月程掛けております。整音だけでも三週間ほ
ど掛けております。「これぞグロトリアンの響き」と云える所まで調整に調整を重ねました。生演奏で聴く
素晴らしい響きと香りとは全く比較の対象にも成らないのですが、グロトリアンピアノの特徴を実に見事に
捉えたレコーディングだと思います。先月号の某オーディオ雑誌にも評が詳しく出ていましたが、その評通
り、このレコーディングに使用したセミコンサートグランドでさえ、ベーゼンドルファーのインペリアルに
優るとも劣らない恐ろしい程の低音の迫力と天使の歌声と云われる次高音部を聴き取ることが出来ます。更
にたった今、ご説明致しました「グロトリアンピアノの隠された響板の工夫」を知った上で聴いて頂けると
「なるほど」と唸ってしまうような「音色の均一性」を感じ取っていただけると思います。
駒
駒の形状について
駒は弦振動を効率よく響板に伝える為の部品です。駒の形状は鉄骨の設計でほぼ決定されてしまいます。
鉄骨の設計と歴史については本講座の何回か前にご説明致しましたが、現代のピアノはグランド、アップラ
イトに拘らず弦長を効率よく長く取りたいが為、低音部と高音部を交差させており、所謂「二重交差弦方式」
を採用しております(この方式を採用したのはスタィンウェーピアノが最初でスタィンウェー社が特許を取
得しました)。この方式ですと低音部の駒と中高音部の駒が分離してしまいます。中には低音部、中低音部、
中高音部、と三本の駒から構成されたピアノも存在します。二重交差弦方式以前のピアノは弦の張り方がハ
ープのようになっており(俗称:雨だれ式)、従い「駒は一本」となります。
二重交差弦方式の長所としては同じ大きさのケースでありながら非交差弦方式のピアノに比べ、弦長を長
く取ることが出来るので豊かな中低域を得ることが出来ます。しかし駒が低域において分離してしまいます
ので低域の駒に弦振動が移ったとたんに響きがガラリと変わってしまう危険を孕んでおります。事実このよ
うなピアノは沢山見受けられます。これらの現象はいくら素晴らしい設計が成されたピアノでも基本設計が
二重交差弦方式を採用している以上避けることは出来ません。もう一つ、低音部の弦は銅巻き線になってお
りますのでこれらの「弦の構造的影響」も受け、二重のダメージを受ける事になってしまいます。二重交差
弦方式を採用しているピアノであっても中には全く響きの差が判別できず、同じ響きでスムーズに低音部に
移行していく物も極く稀に見ることがあります。余程幸運な偶然が重ならない限りこのようなピアノが出来
ることもありませんし、まして手に入れることは不可能に近いと言っても良いでしょう。私がBECHSTEIN社
で勉強していた頃、最終仕上げのマイスター曰く、最低音部から最高音部に至るまで同じ響きを持った完璧
で本当に素晴らしいピアノというのは三年から五年に一台出来るかどうか位であろう、との事であります。
総てのキーに亘って完璧な、しかも同一の響きと香りを持ったピアノは今までに数台しかお目にかかった事
がない、とのことでした。世界を代表する名器、BECHSTEINでさえそうです。それぞれのキーに対する「音の
響き方」と言うのは我々には計り知れない色々な要素が関係している、と言うことでしょう。この辺の事に
ついては私のホームページ内、整音理論のなかで詳しく記述しておりますので興味のある方は覗いてみて下
さい。
低音部駒のサスペンディングシステムについて
ここで低音部の駒のちょっと面白い設計上の工夫をご紹介申しあげます。この設計思想に基づいて現代の
アップライト、グランドの低音部の駒は製造されております。駒が駒ピンを通して弦振動を受け止める部分
は低音部に行くに従って響板の端へ端へと行き、残念ながら響板の振幅の少ない端の方で弦振動を受けなけ
ればなりません。最も振動し易く、振幅の大きな響板の中央部から逸れていってしまいます。低音部は最も
音量を必要とするにもかかわらず何と矛盾した事でしょう。これは大きな設計上の問題点と思われませんか。
しかしピアノを設計する上でこのジレンマを避ける事は出来ません。ここで考えられたのが低音部の駒振動
を出来るだけ響板の中央部で響かせようと言う考えのもとにブリッジといわれる補助板が用いられます(図1
)。この方式をサスペンディングシステムと呼びます。日本ではこのブリッジの事を業界用語で「羽子板」と
呼んでおります。
図1
この「羽子板」も欲張ってあまり面積を大きくしてしまうと上からの弦圧力に耐え切れず、膠はがれを起
こしたり、羽子板自身が歪んだりします。こうなってしまいますと「全く」と言ってよいほど低音部の響き
は無くなってしまい「プツン」と音が切れてしまい、全く音に輝きが無くなってしまい、所謂「デッドトー
ン」になってしまいます。世界的名器と云えどもこのような現象が出ている中古ピアノは時々目にします。
もう一つ、「羽子板」の面積を大きくし過ぎると「羽子板」自身が持っている固有振動が低音部に乗ってし
まい、汚い響きになってしまいます。これは低音部全体に亘り何か固有の振動をしている所謂「箱鳴り」現
象として出てきます。オーディオの世界でもスピーカーボックスによる箱鳴り現象はしばしば見られますね。
低音部の駒の問題を解決する為にピアノの低音部の形状そのものを直径70センチ程の半円形にピアノの左
奥に其れこそ「こぶ」が付いているように響板を出っ張らせてある物もあります。これはベヒシュタインピ
アノの1800年代後期のものです。(写真1)ベルリンの本社工場に飾ってありますが見ていてとても奇妙な感
じがします。俗称「瘤つき爺さん」とでも言っておきましょうか。
写真1
駒の取り付け方法について
駒の取り付け方法として一般的には響板に膠で張り付けた後、響板の裏から直径15ミリから20ミリ程度の
硬木で出来たボタンを当て、その上から木ネジで締め上げます。この方法ですと置かれている環境が悪い場
合、年数が経ちますとネジで止めた部分以外の部分のにかわ剥がれを起こす事があります。この不都合を解
決したのがまたまた、グロトリアンピアノです。弦振動を直接受ける本当の駒に対し、同じ形のもう一本の
駒を響板の裏から当て、正駒、副駒を響板を挟んで締め上げます。ともに硬木ですから相当の力で締め上げ
る事が可能になります。しかも副駒はちゃんと響棒の部分を刳り抜いてあり、トンネルのようになっており
ます。(写真2)こうする事によって100年経っても駒の剥がれが無い、というわけです。この他にもグロトリ
アンピアノ独特の「ヴァイオリンテクニック」という極めて面白い形をした響板がありますが、また機会が
ありましたらご説明致します。
写真2
余談ですが膠剥がれについて触れましたので大切な事をお話します。中古ピアノを修理する際には外見上
なんともないように見えても目に見えない膠はがれを起こしている部分が多数ありますので総ての木工接着
部分につき、必ず綿密な点検修理をしなくてはなりません。響きを聴けばどこの部分で膠剥がれを起こして
いるか大体の見当がつきます。この辺のポイントをちゃんと押え、音響学的な理屈に基づいた修理、調整を
しているか否かで仕上がりの音色の差が如実に出てきます。