オーディオマニアの為のピアノ楽入門 その17

今回はピアノの音色、響きを大きく左右するハンマーヘッドについて説明を致します。グランドピアノ

(写真1)とアップライトピアノ(写真2)のハンマーヘッドの写真を掲載いたしましたのでよく見てください

   

  グランドピアノのハンマーヘッド   アップライトピアノのハンマーヘッド

ハンマーヘッドの話し(その1)

ハンマーヘッドの簡単な歴史

ハンマーヘッドはクリストフォリがピアノを発明して以来、近代科学の発達とともに進化しつづけてきまし

た。1800年後期のものまではハンマーヘッドはとても小さく、最低音部でも親指の先ほどの大きさしかない

ものもあります。作り方はフェルトを何層にも重ねてあるもの、バックスキンを巻いてあるもの、フェルト

にラムスキンを巻いてあるものなど、形状も真ん丸い円形のものから現代の卵型のものまで、色々なものが

ありました。硬さは概ね柔らかいものでそれこそ指で押すと凹んでしまいます。昔のピアノは弦の張力も低

く、音量そのものが小さかった為それほどの大きさと硬さは必要なかったのかもしれません。時代が近代か

ら現代になるに従い、ピアノの使われ方もサロンからホールへ、またそのホールも次第に巨大化し、現代で

は二千名以上も入ろうかと言うホールまで出現しております。こんな訳でピアノの音量もより大きくし、音

そのものを遠くまで飛ばす必要が生じてきました。

ハンマーヘッドの形状もだんだん大きくなり、フェルトの密度も高くなってきました。ハンマーヘッドをウ

ッドに巻く技術というのも近代科学工業から現代科学工業に至る過程でだんだん強く、高張力で巻く技術が

発達してきました。現在ではピアノの設計に最も相応しい数多くの種類のハンマーヘッドが作られておりま

す。超高級品から安価なものまで、それこそ色々な種類、形状のハンマーヘッドが生産されております。

百年ほど前のものから戦前位までの名器のハンマーヘッドを色々と調べてみますと面白い事に気付きます。

色は濃いクリーム色で先端は弦の跡が付いているものの削れてはおりません。それに比べ、現代のものは弾

きこまれ、古くなったピアノのハンマーヘッドを観察してみますと必ずと言ってよいほどハンマーが削れて

しまい、くっきりと弦の跡が付いております。ひどいものになりますと三ミリ、四ミリも食い込んだものが

あります。

現代のハンマーヘッドは何故すぐ削れてしまうのか

理由1

現代のハンマーヘッドがすぐ削れてしまう一つの原因は酸性雨です。全世界的な地域にまで色々な害を及ぼ

しております酸性雨はなんとピアノのハンマーヘッドの世界にまで影響を及ぼしております。羊が慢性的に

直接酸性雨を浴びたり、酸性雨に汚染された牧草を食べている為、以前に比べ毛が切れやすくなったとのこ

とです。ハンマーヘッドに使用される羊毛が以前に比べ切れやすくなったため高張力で巻く事が出来なくな

ってしまった、と言うわけです。ある程度の硬さを得るためにフェルト全体に硬化剤を使用いたします。こ

のため先端の反発係数は下がり、従ってすぐ筋がついてしまい、減りが早い、と言うわけです。このことは

全世界のピアノメーカーにとっては大問題なのです。

理由2

以前のハンマーヘッドのフェルトは濃いクリーム色をしておりましたが現代のものはすべて真っ白です。現

代のものは全てハンマーヘッドを作る前に、つまりフェルトに加工する前に漂白処理が施されております。

このために強度が弱くなり、以前のものに比べ切れやすくなったと言われております。私の意見であります

が、酸性雨は止むを得ないにしてもわざわざ漂白などする必要はないと思います。見栄えなどどうでも良い

事で、品質第一の姿勢を貫いてほしいものです。私は濃いクリーム色のハンマーヘッドの方がずっと高級品

に見えますが。

理由3

以前世界的な名器、グロトリアンの東京ショールームにて整調、整音の仕事をしていた時の事です。同じ機

種でありながら素晴らしいハンマーヘッドが装着されているものもあればそうではないものがありました。

ハンマーヘッドを作っている会社は世界的にも有名な素晴らしいハンマーヘッドを作っている会社です。素

晴らしいハンマーヘッドは整音をする際に針が入りやすいのですがそうでないものは中々針が入らず、入っ

たとしても中々抜けません。それはそれは音作りがしにくいもので一台終了する頃には完全に腕を傷めてし

まいます。それに良質のハンマーヘッドの整音に要する時間の何倍もの時間を要します。かろうじて音像は

作れるものの、作り上げた音色の品位が思うように出てきません。ドイツ本社の社長さんに「何故同じ機種

であるにもかかわらずハンマーヘッドの品質にバラツキがあるのですか。全ての機種に同じ気品と旨みと甘

味を出す事が出来ません。全ての機種に良質のハンマーヘッドを装着するべく改善は出来ないものでしょう

か」と質問をした事があります。社長さんの答えは以下の如くでした。「羊毛の品質はワインと同じで同一

地方のものであってもその年その年の気候の変動で品質のばらつきがあります。品質が良くなかった年は世

界中の羊毛の中から少しでも良い物を手に入れようとするのだが、本当に良い物は皆イギリスが買い占めて

しまい、高級服地になってしまいます。ハンマーヘッドの制作会社はそれなりの努力をしているのだが品質

の悪い年には良質のハンマーヘッドの材料を確保できるとは限らない。だから同じ型番号のハンマーヘッド

でも素晴らしいものとそうでない物があるのだ。我々はハンマーヘッドを作っている訳ではないのでそこま

での要求を出してもなかなか叶えられるものではない」とのことでした。私はこの時初めて工場に於けるピ

アノ作りの悩みと言うものが理解できました。

このことからも判るように、必ずしも最高級の機種だからと言って最高級のハンマーヘッドが装着されてい

る訳ではないということです。勿論最高級のハンマーヘッドの型番であってもです。これはグロトリアン社

だけでなく、全世界のピアノメーカーに当てはまる事なのです。以前のピアノより当たり外れが激しくなっ

たと言う事でしょうか。ただでさえフェルトの品質が低下しているというのに。

環境が悪くなり、地球全体が汚染されつつある「現代」と言う時代は至高とされる芸術分野をも蝕んでいる

のですね。

最高級のハンマーヘッドとは

そのピアノが内在している能力というものはじっくりと時間をかけ、完璧な整音、整調をしてみないと判断

がつきません。世界的な名器といわれるスタィンウェー、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、グロトリ

アンでさえ全く整調がされておらず、ハンマーヘッドも出来たての物を取り付けただけでは聴くに堪えない

響きと音色で、それはそれは耳を塞ぎたくなるようなひどいものです。最高級のハンマーヘッドで特に素晴

らしい材質のフェルトが装着されていてもです。名器というのは完璧な整調、整音がなされてはじめてその

真価を発揮いたします。言い換えれば素晴らしい技術を持った技術者の手によって初めてその素晴らしい個

性あふれる響きと音色が出てくるものなのです。特に整音にこだわりを持っている技術者にとっては手入れ

しようとするピアノのハンマーヘッドの品質がとても気になるところです。ハンマーヘッドの品質が悪い物

はどんなに時間を掛け、丁寧に音作りをしても思うような音色と響きが得られません。ハンマーヘッドの品

質によって音色と響きが制約されてしまい、そのピアノが持っている最大の能力を発揮する事が出来ない、

と言うことです。それでは最高級のハンマーヘッドと言うのはどのような特徴をもっているのでしょうか。

最高級と言っても一言で言い切ることは出来ません。そのピアノが持っている性格によって使用するハンマ

ーヘッドの相性と言う物があります。ドイツ、ベヒシュタイン社で勉強していたときの事です。同じ機種が

二台置いてあってハンマーヘッドの会社だけが違うものです。二台とも音作りのマイスターによって完璧な

整調、整音が施されております。片方は世界最高といわれているレンナー社製が装着されておりましたが音

の出が悪く、音量もありません。しかしベヒシュタインの純正ハンマーがついているほうはとても良く鳴り、

ベヒシュタイン独特の香りが部屋一杯に漂います。このハンマーヘッドはアベル社製です。グロトリアンピ

アノはレンナー社のハンマーヘッドが最も相性がよく、それこそ低音は雷鳴の如く、次高音部は天使の歌声

で歌います。逆にグロトリアンにアベル社のハンマーヘッドをつけてもこのようなグロトリアン独特の味は

出て来ず、つまらない音色になってしまいます。本当に不思議な現象です。

何回か前にピアノには音の出方に二種類ありどちらかに分類できる、と申し上げた事があります。一つはグ

ロトリアン、スタインウエーのようなキーを叩いてから音が出てくるまで少し時間がかかるピアノで音その

ものが重く重量感があるもの、もう一つはベヒシュタイン、ペトロフのようなキーを叩いてから音が出てく

るまでの時間が短い物、そして音そのものが軽い響きを持った物です。どうも私には軽い響きを持った音色

のピアノと重い響きを持った音色のピアノに対するレンナー社系かアベル社系かという「ピアノとハンマー

ヘッドの相性」というものがあるような気がします。

この事に関係する事で私はどうしても実験してみたい事があります。現在ペトロフピアノはレンナー社のハ

ンマーヘッドを使用しておりますが、このピアノはどちらかと言うとベヒシュタイン系の鳴り方をするピア

ノです。レンナー社のハンマーヘッドでも十分鳴りが良く、品位もありますがこのピアノにアベル社のハン

マーヘッドを装着したらどんな音色に変化するのか、という事です。私が想像するにもっともっと鳴りが良

くなるのではないかと思います。何とか実験をやってみたいものです。

(最新モデルのセミコンサートグランドピアノ ModelUにはアベル社のハンマーヘッドが装着されており、

大変鳴りの良いピアノです)

世の中のピアノには相性の合っていないハンマーヘッドを装着しているメーカーが沢山あると思います。ピ

アノメーカーに対する世間の評価というのは工場から出てきた時点での評価です。持っている能力を十分出

し切った状態で出荷しているか否かで音色、響きが全く違います。総てのメーカーが持っている能力を出し

切った状態で出荷しているとは限りません。我々調律師がその後の手入れでまったく別物になってしまうピ

アノが数多くあります。ピアノの評価というのは本来、全ての能力を出し切った状態で評価すべきであると

思います。

最高級のハンマーヘッドには共通した特長があります。以下にこの特徴をあげて見ましょう。

1 ウールは良質で毛足が長く、切れにくい

2 高張力で巻いてある

3 従って先端の反発係数が高い

4 先端には決して強度の硬化剤を用いていない

5 先端の弾力性が大きいので先端の削れが少ない

6 整音時に針が奥までスムーズに入る

7 この結果、自由自在に音像を作る事ができる

8 出来上がった音色の品位が極めて高い

これらの事項をすべて満たすハンマーヘッドを探すのは大変な努力が必要です。色々な種類の物を実験して

その結果を自分の耳で確かめるしか方法がありません。また同じピアノで色々なハンマーヘッドを替えて実

験すればよいのですが中々時間とお金の問題で思うようには行きません。私にとっては永遠の研究課題であ

ります。それ程ハンマーヘッドと言うのはピアノの部品の中で大切な部品なのです。

次回はハンマーヘッドがどのような状態で弦に当れば最も良い音色になるのか、と言うことについて少し音

響学的に考察してみましょう。

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